年賀状とともにある思い出

私が子どもの頃は、クリスマス前には年賀状を書き終えて送るということが一家の習慣にあり、12月になるとどんな年賀状にしようかなと、子どもなりに頭を悩ませていたように思います。
親もまだ200枚ほどの大量の年賀状を書いていた時代で、日曜などは朝から晩まで机に向かって書いていたことをよく覚えています。
日曜の夜8時の大河ドラマがはじまると、ちょっと手を休め、また9時になると書きはじめるといった具合で、とにかく一日中年賀状を書いていて、大人は大変だなと思ったのはこの時がはじめかもしれません。
またその時期は親からよく肩もみを頼まれ、それに100回で100円という条件をつけ、お年玉ほどの収入にはならないものの子どもながらちょっとした書き入れ時でもありました。

また年が明けて元旦の1日には年賀状が届いているか何回もポストを見に行き、だいたいいつも昼頃にようやく届くというパターンでした。
届けば届いたで、親は自分が出していない人からの年賀状を見るやいなやあせってハガキをまた書き始めるということをよくしていました。
私や兄妹は、大体2、30枚くらいの年賀状を学校の友だちや習い事の先生から受け取るという感じで、その少ない枚数で、私の方が多い、少ないと競い合っていました。
そして、夕方には犬の散歩がてら親が追加で書いた年賀状をポストに入れにいくのです。

1月2日は配達も休みで年賀状が届かなかったので、私は少しつまらない気分でしたが、親はここでやっとお正月らしいゆっくりとくつろいだ時間を過ごしていました。

こうして年賀状の思い出を書いてみると、いろいろな記憶が蘇ってきます。
年賀状をめぐる年末・年初めの出来事とともに、子どもの目を通して親のいろいろな姿を見ていたような気がします。
そして、親がたくさんの年賀状を自分の知らない人たちに書いているという姿を前にして、親がそのひとり一人とどのような付き合いをしているのか考えてみたり、自分の親ながら自分の世界がたくさんあるのだなということを漠然と感じたりしていました。

最近は年賀状をメールで済ませることも多くなっていますが、パソコンに向かって親がたくさんの年賀状を書いていたとしても、子どもはそのことに気づかず「ネットサーフィンしてるのかな」くらいにしか思わないかも知れないですね。
それとも、メールで年賀状を書く親の姿とともに、何かが記憶に刻まれて行くのでしょうか。
私はやはり暖かみのあるハガキがいまだに好きですが、たとえメールでも、新年の挨拶を送るという日本らしい素敵な習慣はずっと残って行ってほしいと思います。

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